大学時代(1978〜1982)
PC-1500(Sharp)

しばらくすると、カシオのPB-100あたりが急激にヒットを飛ばし始めました。
カシオのは、リアルタイムキー入力ができたり、実行速度が速く、結構ゲームが作りやすい仕様になってました。ただ、今ある、PC-1211と買い換えるまでの欲求はありませんでしたが。

ところが、ここで、PC-1211の上位機として、PC-1500が発売されたのです。
速攻でPC-1500をプリンタと一緒に購入。このプリンタは何と4色のプロッタータイプのプリンタです。こいつは結構優れ物で、4色のペンをプログラムで変更しながら、グラフを描いたりすることができるのです。もちろん、カセットインターフェースもついています。それから、外部端子が用意されていて、オプションで、タッチボード、RS-232C+パラレルプリンタポートがありました。また、カセットテープ(@_@)供給で、カタカナも発売されました。そうそう、本体には、8KB(当時は、8KBでもすごいと思ってました)の拡張メモリがつけることができました。

このプロッタプリンタは大活躍で、卒論のグラフにも使用して貼り付けて提出しました。紙がロール紙だったので長〜い横長のグラフには最適でした。また、色分けした円グラフも好評でした。

これで作ったプログラムは数え切れないほどです。
作ったゲームは、
などです。
※このゲームソースは、シャープの出した「ポケコンライブラリ」にも掲載されました。

この頃にシャープから、『PC-1500機械語ハンドブック』と呼ばれる本が発売され、機械語でプログラムすることに目覚めました。それまでは、大学の研究室にあった、PC-8001に雑誌のダンプコードを打ち込んでゲームをするだけだったんですね。
ハンドアセンブルでゲームを作るだけのアイデアと元気はなかったので、自分のためのツールをつくりました。

たとえば、PC-1500に搭載のBASICにはなかった、NEW を取り消す(renew)、行番号を付け替える(renum)、ある範囲の行番号を削除する(del)などを機械語で作成しました。

ハンドアセンブルとは、今では考えられないと思いますが、アルゴリズムを考えてから、それをニーモニックという機械語と一対一に対応した意味のある語句でプログラムをつくり、それをコード表をもとに手作業で機械語に変換していく作業です。その後、BASICの[POKE (アドレス), (値0〜255)]という命令でメモリに書き込んでいくのです。そして、[CALL (アドレス)]という命令で機械語に制御を渡します。
実際には、data文に16進数を書き込み、それを読み込みながら、メモリに書き込んでいくBASICプログラムを作りました。後には、直接メモリに読み書きできダンプリストもとれるBASICプログラムをつくり、それで機械語の書き込みをしました。
その後、『』という本が発売され、そこにタイニーアセンブラがあり、ニーモニックを書き込めば、後は自動的に機械語に変換して書き込んでくれ、逆に、機械語はニーモニックに変更して示してくれるもの(逆アセンブラ)を利用するようになりました。
-終-